夏の伊賀上野城 スライドショー
(2015年8月10日撮影)

伊賀上野城について

「忍者の里」と呼ばれる伊賀国は、山に囲まれた9里四方の小さな盆地、その中心は上野城下町である。町の北側の丘には、白亜三層の伊賀上野城が静かな雰囲気を醸し
ながら端麗な姿を見せていて、白鳳城の雅名がる。天正13(1585)年、伊賀の国を領した筒井定次が三層の天守を築き、北に表門を構えた。豊臣秀吉の没後、徳川家康が
関ヶ原の戦いに勝ち、豊臣政権の継承者としての地位を確立するに及んで、慶長13(1608)年、定次を失政を理由に改易、藤堂高虎が伊賀・伊勢の城主として伊予今治城
から移り、自ら縄張りを指図、本丸を30mの高石垣で囲み、筒井故城を大拡張した。しかし竣工直前の五層大天守は、慶長17(1612)年9月2日の暴風雨で倒壊、その
うち大阪夏の陣で豊臣方が滅亡したので城普請は中止され、城代家老が執政することとなった。現在の天守は昭和10(1935)年、地元の名士川崎克氏が私財を
投じて純木造の復興天守を再建、伊賀文化産業城と称した。城跡は昭和42(1967)年に国史跡に、天守は昭和60(1985)年に伊賀市の文化財に指定されている。
(以上、伊賀上野城リーフレットより抜粋)
現在、伊賀上野城跡(上野公園)には伊賀流忍者博物館、俳人・松尾芭蕉生誕300年記念をする俳聖殿などの観光施設が建築されている。訪れた日は
夏休み真っ最中ということもあって忍者博物館、天守などは大勢の観光客で賑わっていた。なお城跡は「日本百名城」の一つにあげられている。






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